前回はお酒をテーマに少し話してみた。
- 深酒は昏沈睡眠の原因
- 酒を飲むほど女性化するテストステロン・ホルモン
- 戒律と神との約束
- 狂僧(ニョンパ)の話
などなど。
前回の話 酒と瞑想と…
今日はその続きから。
ちなみに、前回のように瞑想修行がある程度進むと自分専用の戒律が作られていくという話だった。
自由な人生
例えば…
肉が食べられなくなったり
お酒が飲めなくなったり
みたいな戒律は仏教が禁止しているからとか、ヨガでタブーだからとかゆうよりも、その人と神(仏、デーヴァ、天使、高次の意識)との約束によって決まってくるという話を聞くとこう思うかもしれない。
「それだったら、そんな戒律や禁止事項が増える人生は嫌だしいいわ」
と思うかもしれない。
まあ、これは確かにそうだ。
人生はなるべく自分の思うがままの自由が理想だというのは私もそう思う。
食べたいものを食べて
やりたい事をやって
言いたいことを言って
とにかく自由でありたいっていうのは人間として自然なことだと思う。
そういうことが禁止されてりペナルティーが出てくるようなら、そんなものはやりたくない。
ただし、神との約束によって自分の戒律が出来るのではあるがそれ以上のメリットがあり…
「禁止事項があっても、やっぱりこっちがいいわ」
という風になっていくわけだ。
少し抽象的な話になるが自由というのはそもそも不自由の上に存在している。
ニートだった場合
例えばあなたがニートだったとしよう。
ニートだから…
- 朝何時に起きても自由だし
- 服装も自由
- 通勤する必要も無い
- 嫌な上司や同僚に会う必要もない
しかしだ。
それだと給料は入ってこないし、社会的な信用はゼロという話になってくる。
だから、本当にやりたい事も出来ないだろうし自由なつもりでも不自由だという話になってくる。
このように、自由というものは何らかの不自由や責任を元に成り立っていることがほとんんど。
移動スピードと規制
これはスピリチュアルな事柄だと分かりにくいので、移動のスピードに例えてみよう。
移動手段とその時に出るスピードを表すとすると
徒歩 時速4キロ
自転車 時速15キロ
車 時速80キロ
というようになってくる。
歩くより自転車に乗った方がスピードが出るし、車を運転した方がもっと速い。
ただし、移動速度が速くなればなるほど決まりや法律や免許などの取り決めが増えてくる。
歩くときは別にスピード違反なんかないわけだ。
でも車を運転する時は安全確認やスピード制限に注意しないといけない。
街中で車を停めるのも場所を探したり有料のコインパーキングを使わなければいけないし
スピードを超過してネズミ取りに捕まれば減点と罰金だし
第一ガス代とか維持費もバカにならないし
しかし、だからと言って一度車を使ってしまうと、それなりのメリットがあるのでなかなか徒歩と電車バス生活に戻れなくなる。
また、スピードの他にはボクシング。
ボクサーは喧嘩禁止
あなたはプロのボクサーだとしよう。
普通に拳の殴り合いをしたら、絶対に素人よりは強いだろう。
しかし、そうだからこそ…
「ボクサーは喧嘩をしてはいけません」
という不文律が課せられるわけだ。
なぜなら、喧嘩したら法律的な問題と同時に試合に出場する資格を剥奪されるからだ。
このようにスピリチュアルに限らすに、スピードであれ格闘技であれ何らかの力を得たら何かを失う力学的なバランスは常に存在する。
今までお話した戒律もこれに近い。
戒律を上回るメリットとプロテクト
瞑想や祈りが深まってくると色々と禁止事項もあるんだけれども、それを上回るメリットというか納得感があるから…
- お酒を飲めなくなっても別にいいし
- 食事に制限が出てきてもいいし
- 行動が規制されても、まあ納得
みたいな感じになってくる。
例えばシンプルな話、お酒で酔わなくても至福のエネルギーがやって来て酔のでそっちの方がいいわけだ。
また、物理的なサポートもあったりする。
- 仕事が上手くいったり
- パートナーと出会ったり
- 知るべきことは知れたり
言ったら神様による福利厚生的なものでプロテクトされたりする。
まあ、この辺はカルマ的なものがあるので人それぞれだが、どっちにしても上手く行く傾向ではある。
あんまりこのような事を言うと怪しくなるが、本当だからしょうがない。
この神様酔いについても話すと長くなるので、今回は省略するがこれは一定のコツが体得出来れば誰でも起こりうる事ではある。
このように車には法定速度があるわけだがこれっていわば「安全」の為にあるわけだ。
それは運転する人の安全だったり、周りの安全だったりする。
瞑想などのスピリチュアルな道で発生してくる戒律も、この安全という要素がある。
つまり、その人を守ってくれる働きがあるわけだ。
なぜなら、ある意味意識が覚醒してくると、より自由になりこの世の規範にとらわれなくなる。
また、エネルギー的にも充実してくるので、先ほどのスピードやボクシングの例えでは無いがより使い方に注意が必要になってくる。
そう言った際に、その人を守る為にある種のルールが発生してくるという構造になってくる。
私の場合はどうったかというと、最初は…
続く