前回は私達が変化したり成長しようとすると邪魔が入るメカニズムをお話しした。
前回のお話
抵抗を推進力に 自由と不自由はセットの話
今日は前回の続きで魔について。
この辺の話題は複雑というか多岐にわたるので、全部はシェア出来ないが思いつくままにあげてみよう。
もし地球人全員がブッダやキリストだったら
特に魔という概念なので瞑想やスピリチュアルな分野の話でシェアしていく。
ここであなたに考えて欲しいのだが、もしこの地球上の人々全員がお釈迦様やイエス・キリストだったらという状態を想像して欲しい。
- 心や行動が平和に満たされて
- 高度な霊的な智慧が発露していて
- 目に見えない高い世界ともコンタクトが自由で
- 奇跡的なものも普通に起こせて
みたいな状態、しかも人類全員がだ。
そうなってくると、今の人類が抱えている問題はあり続けるだろうか?
当然、戦争やその他の軋轢などは無くなってくるだろう。
犯罪もなくなるし、喧嘩やトラブルなどもなくなる。
そういう世界になるだろう。
「リアルさん、それって理想だからいいじゃないですか」
という話もあるかもしれない。
不都合な真実とミッキーマウス
ただ、そうなると不都合が生じる。
そんな高次元の霊界のような地球には、一般的な意識レベルの肉を纏った私達は生存出来ないという話になってくる。
これは構造的な話になるが、例えばディズニーランド。
ディズニーランドがディズニーランドとして存在出来る条件として…
「ミッキーマウスがいてお客さんがいる」
という状態があると思う。
もちろん、ミッキーの他のキャラだとかアトラクションなどもあるが、それは一旦置いておく。
ミッキーとお客さんはセットで存在
ディズニーランドにもしミッキーマウスがいなくて、代わりにキティちゃんがいたらキティランドになってしまう。
だから、ミッキーは絶対に居なければいけない。
ただし、もしお客さんが一般人ではなくて、全員ミッキーマウスだったとしよう。
お客さんが全員ミッキー。
果たして、それは今あるディズニーランドと言えるだろうか?
否。
そんなものはディズニーランドとして存在出来ない。
構造として…
ミッキーマウス=それを観る観客
というフォーマットがあってのディスニーランドなわけだ。
この世界もお釈迦様やイエスキリストなどごくごく一部のアバターが出るのはいいが、地球全員がそれになったら今の地球は存続出来ない。
また、仮にそうなったとしても今の地球では無くなってしまうので、私達は存在出来ないという話になってくる。
周波数の違い
なぜなら周波数が違うからだ。
テレビのチャンネルに周波数があるように、周波数が違うと同じ世界にはいられない。
もし、あなたが極度な人見知りで内向的な性格だったら、パリピのパーティーには参加しないのと一緒。
その周波数を高い次元に持っていくためにはそれなりのステップが必要。
荒い部分を削ぎ落としていかなければならないわけだ。
砥石が必要
例えば包丁があるとしよう。
この包丁を研ぐ時には…
- 最初に荒い砥石
- 次に中位の荒さの砥石
- 最後に目の細かい砥石
と段々と砥石の荒さを低くしていくと思う。
何が言いたいかというと…
この地球が高次元の天界のような状態=非常に細かい目の砥石
今の地球=荒い砥石
のように例えられる。
荒い砥石というのは、例えば修正すべき性格。
物凄く短気でしかも人を攻撃するカルマがあったとしよう。
天界のような場所ではみんな良い人だし、腹が立つような事も起こらないので自分のマイナスの性格が出る余地がない。
うっすらと気づいているだろうが、あまりに環境が良すぎるのでそのままになっている。
しかし、それを修正する為にはそのカルマを顕在化させて意識化し、取り組んでいく必要が出てくる。
カルマを解消しやすい場所
しかし、高次元の世界ではそれが出来ない。
そこで、自分のカルマを意識化しやすいような、ある程度荒い世界や人々が必要になってくるというわけだ。
つまり、この地球が高次元の天界のような状態だと私達の意識は進化出来ないので、荒い砥石として存在しているという話になってくる。
管理者としての魔
魔とはつまり、その荒い砥石として魂を磨き上げる道場としての地球を維持していく見張りみたいな存在。
だから、お釈迦様が悟りそうになった時に…
魔
「ヤベェな、ちょっと誘惑して悟らないようにしよう」
「だって、悟ったらそれを広めちゃうじゃん」
みたいに思って邪魔する。
イエスキリストが荒野に出かけた時も
魔
「お前を世界の王にしてやっからさ」
と誘惑して真の救世主として覚醒しないように邪魔したり
見張りなわけだから、砥石としての地球のルールから逸脱しようとするとそれを阻止するわけだ。
ちなみに、その阻止は悟った後も続く。
じゃないとその教えや意識状態が広まって後から続く人が出るからだ。
だから、魔というと非常にマイナスのイメージだが、魂の修行としての場として地球の状態を私達に最適に保ってくれている親切な管理者と言えなくもない。
普通、魔というとオカルト映画に出てくるような恐いイメージがあるが、基本的にはもっと煌びやかで魅惑的なものだ。
魔とは本質的にはこのような構造的な管理者的な存在とも言える。
では具体的にどのような感じで邪魔してくるのだろうか?
続く… かも