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「十三番目の人格 ISOLA」を読んだら エンパシーと体外離脱ものだった

昨日Kindle本で貴志裕介の「十三番目の人格 ISOLA」という小説を読んだ。

私は移動中とか待ち時間などは大抵Kindle本を読んでいるのだが…

「何だかタイトルがホラーっぽいな」

と若干思ったが、今回はこの本を選んでしまった。

好みとしてはホラーというのはあまり読まない。

なぜなら、ブログでも…

「普段意識を合わせているものに自分の意識もなっていく」

というような話をしているように、あまりネガティブなものは基本的には接しない方がいいわけだ。

とはいえ、ホラーっぽいのもこれはこれでメリットというものは存在する。

この本(「十三番目の人格 ISOLA」)の前に同じ著者の「黒い家」という保険金詐欺事件物を読んだのだが、この種のホラーというか怖めの物を読んでいる時に何とも言えない落ち着き感を感じた。

「あれ? なんでホラーを読んで落ち着くんだろう?」

と思って少し考えたが、雨や嵐の日に家の中にいるとホッとするような感じに近い。

緊張とリラックスの法則

自分は安全な位置から雨や嵐を見ているとホッとするように、読者という絶対安全な場所から事件やホラー的な小説を読んでいると同じようにホッとするという心理構造なのだろうと推測した。

また、緊張とリラックスの法則というのがある。

より深いリラックスやカタルシスを体験するためにはその前に緊張や葛藤があった方がいいわけだ。

ということでこう言ったホラー的な分野もたまにはいいかということで「十三番目の人格 ISOLA」という小説を読んだ。

あまり詳しく内容を書くとネタバレになってしまうので、簡単な紹介にとどめるが、タイトルにあるようにこれは多重人格物の小説だと最初は思って読んでいた。

しかし、読み進めるうちに…

「エンパシーと体外離脱」

の方が大きなテーマとしてあるなという流れになってきた。

エンパシー小説

何だか田口ランディっぽい小説だ。

著者を知らずに読んだら田口ランディと答えてしまうかも知れない。

田口ランディも「コンセント」などの一連の小説はサイキック的な感性を扱ったものがあるので、それに類似している感がある。

この小説の主人公は由香里という20代前半の女性でエンパスという設定。

その女性が阪神大震災でボランティアをしているときに多重人格の少女に出会ってしまうという話。

「リアルさん、エンパスってなんですか?」

という質問もあるかも知れないので、小説を抜粋しながら説明してみよう。

抜粋

由香里の「共感する」能力は、再び異常な発達を遂げ始めたのだ。

彼女は街を歩いているだけで、人々の抱いている強い感情が、心の中に流れ込んでくるのを感じるようになった。

そして、強い感情というものは、おおむねネガティブなものである場合が多い。

最初は、漠然とした気分や思考感情の渦のようなものにすぎなかったが。

だが、それは次第に大きくなり、ついにははっきりとした言葉や内容を伴うようになった。

自分が発狂しかけているのだは無いかと怯えたこともあったが、聞こえてくるのが幻聴などではなく実際に人々が頭の中で思考している内容であることには確信があった…

みたいな感じである。

このようにエンパス(エンパシー)とは感情をメインに共感する能力とも言える。

ちなみに、この反対が反社会性パーソナリティ障害と言われるものやサイコパスと呼ばれるもので他者に“共感出来ない”という特性があるようだ。

エンパシーの自覚

私自身、軽いエンパスだというのは30代以降に知った。

最初は瞑想を習っている時にそう言った傾向があると瞑想教師に言われたことがあった。

確かに振り返ってみれば、こんなことがあった。

ある時、スカイプで友人と話ている時に彼の父親の話になった。

彼の父親は数年前に故人となっていたが、なぜかその存在を自分のハートに感じた。

彼の父親とは面識がなかったが、突然、自分の胸にある感情と言葉が浮かんできた。

それは息子(その友人)を励ますような内容で、その内容を…

「何だか◯◯のお父さんからメッセージが来ているような気がするんだけど、いいかな?」

と前置きした上で伝えてみると…

「ああ、確かにそういう感じです」

みたいな話の展開になった。

これと似たようなことは色々あるが、こちらからコントロールは出来ない。

何かが何かとシンクロして、時折このようなエンパシー的なセンサーが高まるわけだ。

思い返してみれば小学生の時から他者の感覚が自分の体に移ってくるというのは時折あった。

強い身体的な衝撃や感情が自分の方に移ってきてしまう。

これもいつもでは無いが、感性が高まった時にそうなる。

こう言ったエンパス的な体質や体験を話すと長くなるのでカットするが、とにかくエンパシーというものがあるという話。

マーヤに敏感に

特にある時期から人が持っているマーヤに敏感になってきた。

これは仕事の性質として人のマーヤを解消してより本来持っている意識状態を活性化するという業務があるので、その事に対して言うか黙っているかは別にして、そのマーヤに対するセンサーが発達していったとも言える。

このエンパス的な能力というのはメリットもあるがデメリットも多い。

例えば嗅覚に置き換えて説明すると、嗅覚が鋭い人はわかると思うが自然の中ならともかく、街中を歩いているといい匂いより臭い匂いが圧倒的に多い。

特に新宿の歌舞伎町とか最悪である。

街中は無論、飲食的や喫茶店に入ってもある種の腐敗臭が抜けない場合もある。

まあ、その臭いさえも街の趣と言えなくも無いが、出来れば避けたい。

エンパスもそうで、人が多ければ多いほど良い想念よりはネガティブ気味の想念の方が多いという話になってくるわけだ。

この小説の主人公もネガティブな想念を浴びつつ、その中でも光を見出していこうという葛藤を味わうという話にはなってくる。

言葉が使えない分野での共鳴

何で今日はこんな話をしているかというと、悟りや覚醒というものはある意味、このエンパス的なもので察知するとも言えるからだ。

もちろん、人には得意不得意というか色々なタイプがあるので、それが全てでは無い。

しかし、悟りとか覚醒、もしくは「神」(神聖な意識)というものを対象にした場合、私達が普段使っている「言葉」というのはあまり役に立たない。

なぜなら、言葉で読んだり聞いたりしてもその本質は伝わららないからだ。

その「言葉」を超えていく必要があるからだ。

覚醒とか悟りや神という対象が分かりにくければ、動物で例えてみよう。

動物の場合

例えばあなたの前に犬がいたとする。

犬は人間の言葉を理解する能力もあるが、どちらかというと感情の方を理解すると言える。

言ったらエンパス的な傾向が強いわけだ。

なぜなら、犬好きな人が…

「可愛いね〜!!」

と近寄っていくと、例え言葉で可愛いとかいい子とか言わなくても犬の方も共感して尻尾を振って懐いてくる。

逆に犬嫌いの人がどんなに言葉を尽くしても、犬は…

「あれ? なんか違う」

と勘づいてしまって懐かなかったりする。

このようにエンパシー的な…

  • 思い
  • 感情
  • エネルギー

的なもので動物は味方か敵かを判断するわけだ。

聖なる意識との共鳴

瞑想や祈りもそう。

理論や言葉など色々な要素もあるが、こちら側の意識が純粋に「それ」に向かうと共鳴が起こる。

それの強いのがある種の至福意識や体験になったりするという構造がある。

だから、もしこれを読んでいるあなたがエンパシー体質が強めの場合は、ネガティブな場所や人々の想念に意識が向いてしまいがちになるかも知れない。

しかし、それを超えて私たちと共にあるこの神聖な意識にフォーカスするとそれと共鳴し出す。

結果、文字や言葉や理論でわからなかったものがわかるという話になってくる。

それが瞑想や祈りの本質である。