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無限に輝く意識が私達の本体 瞑想が進んでくると文字通り光との一体化が…

今日はここ最近の私の気持ちをシェアして

いきたいと思います。

少し前に書いた引退を考えた話の続きです。

引退を考えた話 社会不適合者とスピリチュアル

 

このように…

* 自分はこれから何をしていけばいいのだろう?
* どういった形で必要とされるのだろう?
* なにが求められていて、どう提供すればいいのだろう?

⠀ということを日々考えていました。

そこで今までの活動にプラスして大体の方向性が見え
てきました。

それを少しづつシェアしていきます。

墓の下へ入る

これは私が言うまでもないんですが、やっぱり
人が1番恐れているものが、この肉体が死を
迎えるということだと思います。

例えば 数年前にこんな事がありました。

「 俺もあと数年したら、墓の下に入る
んだな」

と、テレビを観ながらぼっそり
とうちの親父がつぶやきました。

なんというか、悲壮感が漂っている
というか、まあ、普通はこんな感じ
でも仕方がないのかもしれません。

このメルマガを読んでる方はそこまで
即物的な人はいないと思いますけれども、
多かれ少なかれ、自分の肉体死というも
のに対して恐怖を持っていると思います。

体外離脱を経験して、そういった不安が
ほぼほぼ無くなりました。

現実世界の方が不自由

いや、むしろこの物質世界で重たい身体
を持って活動している方が不自由みたい
な感じです。

なぜなら、ご飯を食べなければいけない
し、思っただけで移動できないですし、
空も飛べない。

向こうの世界だったら、意識するだけで、
いろいろ世界が変化していって、いろん
な場所に行けたり自由自在です。

はっきり言ってこの物質世界は居心地
が向こう側ほど良くない。

おまけに、 自分が本当にしたい事を 仕事
にできなくて、嫌いや勉強や会社勤めをしたり。

風邪をひいたり、疲れたりして体が痛く
なったり。

何よりも意味不明なルールが この社会に
は色々あって本当に不自由だなと感じました。

肉体に紐ずくもろもろが…

考えてみれば、お釈迦様の仏教じゃない
ですけれども、この肉体に関することに
紐付く苦しみというのが、私たちを苦しめる
といっても 過言ではありません。

例えば…

・金銭的な不安だったり
・同僚より出世出来なかったり
・ 世間から馬鹿にされたり
・恋愛で悩んだり
・子供のことで悩んだり
・親の介護で苦労したり

することもこの肉体や それと強く関連する
自我に関連していることですから。

この肉体から解放されて自由な意識状態に
なったら、それらのものはほぼほぼ関係
無くなります。

ですから、 臨死体験者や深い瞑想状態や
至福体験者には自○願望が強かったりします。

実際にインドに行った時に私のインド人
の師匠のアンダーグラウンドサマリーの
話でこんなことを聞きました。

アンダーグラウンド・サマディー

アンダーグラウンドサマディーとはい
わゆる地下に埋まって数日間仮死状態
の瞑想に入る行です。

このアンダーグラウンドサマディにも
いくつか種類があり、インド人の聖者
の師匠が行うのは心肺停止状態の瞑想
状態に数日間いるというもの。

実際に他のヨガの行者でもこの行
にチャレンジする人がいるらしいで
すが、たまに失敗してそのままあの世
に逝ってしまうそうです。

でも…

「マハーサマディにはいったから
よかったね」

みたいな認識で失敗して死んでもお祝い
ムードらしいです。

少し話が脱線しましたが臨死体験したこと
がある人とか、深い瞑想状態に頻繁に入る
人はその死の状態に馴染みが出てきます。

ですから、肉体の死にあまりとらわれなくなる
という共通点があります。

死の状態に馴染みがあるというと、 若干気持
ち悪く聞こえますが、 実はそんなことありません。

輝き出す意識

ある程度深い瞑想に入るとわかりますけれ
ども、現在の私たちの肉体の機能や意識状態
がストップすると、逆説的に力強く輝き渡る
意識が顕在化してきます。

これは例えでなくて、多少個人差がありますが

実際に光に飲み込まれたり、まるで火山の火口に

放り込まれたようなパワフルな躍動するエネルギー

と一体化していきます。

 

ヴィパッサナー瞑想的にいうと、瞑想状態が
進んでくると軽安とか喜などの状態が出てく
ると言われています。

これは他の瞑想でも一緒で、軽安とか喜というのは…

・ 体 や心が軽くなったり
・ なくなったような感じがしたり
・ 長い間座っても苦痛を感じなかったり
・ 楽しい 状態がずっと続いたり

そういう風になってきます。

TM瞑想でもシディプログラムといって
体がホッピングするやつなんかも、
ダイレクトな意識状態に触れた結果起こる
ものです。

ただ、このような意識状態は瞑想でなったと
言えばなったのですが、言い方を変えれば…

「もともとの私たちの意識の性質としては
そういった状態がデフォルトとしてある」

みたいなイメージですか。

もともと広大でパワフルで躍動的な意識が人間
というフォーマットと肉体に入った結果、その
ダイナミックさが感じにくくなっているという
だけの話。

その証拠に何も瞑想じゃなくても楽しい
映画を見たり、好きなゲームをするときは
濃度はかなり落ちるというか薄いですが
似たような状態になります。

ただゲームとか映画は対象物が必要なのに
対して、瞑想の場合はそういった対象物が
必要でないと言う違いがあります。

若干話がそれましたが、とにかく、私たちの
デフォルトの意識状態としては、明るく、力強く
パワフル な状態なので、肉体や思考が停止す
ると、比較相対的にその パワフルな状態が
顕在化すると言うことです。

ギャップ

まぁ、とにかく体外離脱をきっかけに瞑想
をマスターして元来の意識の状態に馴染んでく
ると、この社会との価値観とギャップが生じがち
という話になってきます。

特に、この傾向はヴィパッサナー瞑想を中心に
やってきた30代に顕著でした。

これが解消しはじめたのは更に瞑想や祈りが
深まってきた40代くらいからです。

「この世界もシステムもあっていい」

「実は全ての状態は祝福されていたんだ」

みたいな体験や認識になっていきました。

だいたいこのように普段はノンビリ瞑想しな

くらしているわけですが、ここ最近は色々と

社会状況も変化してきました。

例えば…

続く…