覚醒にはある種の強さが必要だという話を前回した。
今日はその続き。
前回は・・・
気づき、もしくは気づきに気づいている状態や視点は既に覚醒ではあるが強さが足りない故にプロローグにすぎない。
という話だった。
「リアルさん、気づきはいいにしても気づきに気づいているというのはどうゆう事ですか?」
という質問もあるだろう。
下の図を参考にして欲しい。
気づきというのは通常何かに気づいているわけだ。
目の前にコーラがあるとする。
それを見ている。
「リアルさん当たり前じゃないですか?」
と思うかもしれない。
この一件当たり前のことに覚醒の秘密が隠されている。
その秘密はいくつかあるが、一つだけお話すると実は見ることを観る視点というものが存在する。
下の図を見て欲しい。
私がコーラを見ているという事を観ている。
別の言い方をすると、
私がコーラに気づいている事に気づいている。
わかるだろうか?
いわゆる俯瞰という奴だが、気づく事に気づく。
これがガツンと来た状態が・・・
「意識が拡がった」
状態を自覚する段階になるのだが、そこまで認識出来なくても、薄っすらと気づいている状態に気づくことが出来るかやってみて欲しい。
これは結構高度な教えというテクニックでなかなか難しいものがある。
更にいうならば、気づきを強化する修行法はこの部分を開発というか自覚する為にあると言ってもいい。
普通は私達一般的な人間は最初の見ている「私」さえボンヤリしている。
それを補う為にヴィパッサナー瞑想ではサマタ(集中力)を鍛える瞑想をしたり、以前、ステート・オブ・プレゼンスと言われる頭の中心あたりから「見る」瞑想が流行ったが、このように視点を強化したりする段階を踏んだりする。
そうやって、まず「見る」という事の訓練から始めて、ある程度の段階に行くと自然と見ていることを「観る」段階が顕になってくる。
これはアドヴァイタ系の教えやクリシュナムルティなどの本を読んで・・・
「そうか、観るとはこんな感じなんだ」
と想像するのとはわけが違う。
観察の状態の強さによっても違うが、ある程度本当に観れた場合・・・
「・・・・・」
となる。
ショック状態だ。
想像してたのと違う。
まさか、こんなだったとは・・・
と言葉を無くす。
ダグラス・ハーディングなどでも実験的にこの状態を再現する手法は色々あるが、本を読んだりワークしたりするのと、実際にこの見る事を観る状態になった場合では全然違う。
今、思い出したので動画を貼っておく
上の動画はムージのサットサンだが、見る事を観る状態になった軽めのバージョンがこんな感じ。
これでも多少はショックだと思う。
本格的にこれが来るともっと破壊的だ。
私の場合は半年くらい身体の状態が元に戻らなかった。
その話は機会があったらまた書くとして、とにかく想像してたのと違う。
再三いうように、ある意味それだけの気づきの強さを開発するのが瞑想修行ではあるので、いきなりは無理な話。
ただ、無理なのだけれども、その気配。
「見ている状態を見ている」
のを薄っすらと感じられる可能性はある。
また、薄っすらと感じられてたまらない憧憬を抱くなら、その恩寵は遠からずあなたに訪れるであろう。
話を戻すと覚醒・悟りのファクターとして2種類あるという事だった。
A覚醒
B成熟度
このAの覚醒の話をしているわけだが、今お話している見ている状態を観ることが薄っすらとでも認識出来るのなら、既にAの覚醒の一旦は認識出来ていると言える。
何故なら、あなたは今までも「それ」であったし
今、この瞬間、まさに「それ」である
これからも「それ」から1ミリも離れて存在することはないであろう
だだ、それをどれくらいの程度で認識するかどうかの話だけ。
ということで見る事を観るという話に多少脱線したが、では従来の瞑想法ではどのようにその強さ、認識の深さを出す訓練をしていくかという話をしてみよう。
認識の深さを出す修行法・瞑想法も何種類かある。
これも便宜上2つに分けて解説する。
A 瞑想を深めるタイプ
B 気づきを深めるタイプ
の2種類だ。
私の場合はAから入った。
続く・・・・