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カルマの話 この世界と霊的な世界では視点が逆転する

 

 

はい、えっと今回の質問は…

「カルマというものを信じていれば、自分がその現象を作ることになるんでしょうか」

というご質問で、最初に結論を言いますと、あの、そうとも言えます。

そうとも言えますっていう、なんかちょっと曖昧な言い方に聞こえるかもしれませんが、これはね、質問してる方の、ま、人によって変わってくるんですよ。

どんな風にその人があのカルマというものをこう捉えていて、理解していて、また普段の意識のパターンですね。こんなことが起こったら、こんな風に考える、行動するっていう各自パターンがあるわけじゃないですか。

いろんな私もそうだし、他の人もそうだし、それぞれパターンがあるんで、その人の性格パターンによって、あの答えっていうのは常にま、この質問に限らず変わってくるんですけれども。

今回Tさん、Tさんからま、このような質問を受けたんでそのようにカルマというのは信じてれば作ることになるんでしょうかという質問に対して、ま、そういった側面はありますという答えになります。

これはね、一般的というか、こういった世界では、ほぼほぼ一般的なあの回答になるかと思うんですが、じゃなぜそうかということをま簡単にね話していきます。

まずあの前提としてカルマっていう言葉あると思うんですよ。

これは決してね悪い意味ではない、いいこともカルマだし、悪いこともカルマっていう言葉で言ってるんで。これ仏教でもヒンドゥでもま同じようなもんだと思うんで、まそういったものもある。

じゃなぜカルマがあるという話になると、過去世、前世、過去生っていうの概念あるわけですよ。

輪廻を繰り返して私たちはこう生きてきます。

仏教の場合は、その輪廻の輪から抜け出しましょうみたいな話もありますけれども、とにかく私たちはこの連続体、自分っていうこう存在は、記憶はないけれども前世、そのまた前世、もしかしたら100回、何千回って生まれ変わってきて、それで今いるんだというま、そういった世界観ですよね。

まそれをま信じるか信じないかはちょっと別として、見ていただければ分かる通りに、明らかに人によってそのこうラッキー、アンラッキーっていうか違うわけじゃないですか。

生まれながらにある程度のもうお金持ちに住んで、お金持ちの家に生まれて、両親も素晴らしくて、ま家族兄弟1家ファミリーに恵まれて。

これといった病気もすることなく、なんていうかな仕事もまあ家の仕事とかやってれば一切困ることなくで、幸せな結婚ができて。

あの子供たちにも恵まれてっていう、そのすごくラッキーな場合とか人もいると思うんですよ。

片や例えば今だったら、いろんな戦争起きてますけれども、ある日貧しい家庭でこう自覚したら自分がいて、でお父さんとかお母さんとか居なくて、孤児として生まれて。

なんかゴミを拾いながら生活して、爆撃を受けてもう途中でもう10歳ぐらいで死んじゃったみたいな。

もしくはなんか病気持ってますよとか、人によってなんか持ってるなんてかな運というか、その要素ってすごく違うと思うんですね。

でこれはなぜかと問われたら、一説によるとやっぱりそのカルマと存在、過去のそういったものがあるからだよっていう話もあるわけですよ。

一方でカルマとは関係なく自分の境遇があるんですよっていう話もあるんですけれども、それはちょっと今はここでは話がねかなり長くなるんで取り上げないです。

でそういった全性的な影響を考慮した場合、まそういったカルマがあるという前提に立って話をするならば、そのカルマを信じていれば…

「自分がその現象を作ることになるんでしょうか」

という質問に対しては、確かにそうですという答えになるんですね。

で現代用語で言うと、まあ一種の認知バイアス。

バイアスがかかってるとか言いますよね。

例えばこのこのコーヒーを飲んだら健康にいいですよっていうこう情報とか本を見て…

「コーヒー飲むとね、カフェインがね健康にいいんだ、カフェイン取ると癌になりにくいんだ、あの認知症になりにくいんだ」

っていうことを信じてコーヒー飲むと、あのやっぱり幸せにね、コーヒー好きの人は過ごせるわけですよ。

一方で…

「コーヒーのカフェインは健康に悪いですよ」

「コーヒーはあの神経、腎臓とかね、あのそういったものに強く働くんで体に負担がかかるんですよ」

とかね?

あのそういってカフェインとか取っちゃいけませんよっていう方のものを信じてる人は、コーヒーを飲んで、飲んだる飲む機会があったとして飲んだら…

「ああ〜私はねなんて悪いものを体に入れてしまったんだ」

となってね?

カフェインも良くないし、なんか心臓がドキドキしたような気がするし、何か腎臓にも負担をかけてるし、これはもしかしてやっぱり今日は私すごく悪いことしてしまった、健康に良くないことをしてしまったみたいに考えると、同じコーヒーを飲むんだにしても、同じ人がね同じコーヒーを飲んだしても、やっぱり健康にも作用してくるんですよ。

これと一緒でカルマという概念で言えば、あの例えばじゃあ事故を起こしました、病気になりまということで、カルマというものに対しての理解がネガティブであったら…

「ああ〜自分はねなんて悪いカルマを持ってるんだ、これは前世が悪かったからきっとこうなんだろう、前世が悪かったからきっとなんかいろんなねあの不幸が来るんだろう、境遇に恵まれないんだろう、ああ自分なんかもう早く死んでしまえばいいんだ」

みたいな風にあのネガティブにとるとそうなんですよ。

一方でポジティブにとると、悪いこと、悪いことが起こることによって…

「ああ〜このカルマは終わったんだと、なんてラッキーなんだと、なんてねラッキーなんだろう、神様ありがとう」

みたいな風に、悪いことが起こってもね、ネガティブなことがこに起こったことによって、それが解消されたっていう風な認識で捉えると、それはそれでハッピーなんですよ。

分かりますかね。

例えばヒンドゥーなんかで言うと、修行を積んだヨギとかはそういった認識になってくる。

だから例えばあのインド占星術なんかだと運命を改善するために、プージャとかヤギとか宝石、宝石をつけたりしますよね。

やっぱりそれは運命を改善したいからするんだけれども、そのそういった上級者というかヨギの上級者とか聖者クラスになってくると…

「悪いことが起こったらそれはあの解消するからいいことなんだ」

となる。

だからありがとうっていう例で、不幸なことが起こってもなんかその感謝に打ち震えるっていう状態にあるとは言われてるんですね。

でも、もちろん私たち一般人はそこまではちょっと難しいとは思うんですけれども。

やっぱり何か良くないことが起こっても…

「あーこれでなんか厄が落ちたな」

ぐらいは思えると思うんですよ。

あこれでなんか厄が落ちたな、病気をしてもね事故をしてもね、あこれでなんか厄が落ちたから、カルマが軽くなったんだぐらいな認識は持てると思うんで、そういったね認識にあの変えていくっていうのがいいと思います。

でもうちょっとだけ言うと、これは実は良いことに多いとも言えるんですよ。

例えば私はちょっと宝くじ買わないんで当たったことないんですけども、宝くじを買う人は当たるとすごく大喜びするじゃないですか。

でもこういったあの運的な話になると、ああいった無努力でラッキーなもの、例えば500万1000万当たりましたみたいなものは、努力せずしてまあいい状態が来るってことは、自分のそういった過去の良いカルマを消費したことになるんですね。

 

だから例外もいるかと思いますが、日本とか海外も含めて、高額当選した人っていうのは、その後なんかあのお金がまたゼロになっちゃったり、不幸になってくパターンっていうのはよく聞くと思うんですよ。

無駄遣いしたり親戚にたかられてたりしてね?

それはまあそういった意味ですよね。

今まで徳分があってそれが何らかのあの、何らかの現象、例えば宝くじを買いました、当たりましたっていうことで、自分の徳分が消費さされてる。

だからこの世界的には…

「宝くじ当たった、いいね、ラッキー!」

ってなるんですけど、あの霊的な話になると…

「え!そんなの当たっちゃったの、じゃもっといいことをしてもっと修行して高めていかないとやばいんじゃないの?」

みたいな話になって逆なんですよ。

そういった逆の認識。

こういったあのあの本当のスピリチュアルという霊的な視点で言うと、悪いことはいいこと、いいことはもっとこう良くないことみたいな認識の逆転が起きてくる。

そういった逆の視点で今までの人生のことだとか、色々と思い起こしていくと新しい発見とかもあったりするんで、風呂に入っているときとか、1日が終わってゆったりした時に振り返ってみるのもいいと思います。