前回は、TM瞑想のお話までだった。
前回のお話
私の先生 最初の体験やTM瞑想
今日はその続きで、たまに聞かれるのだが…
「どんな瞑想法がいいですか」
という質問がある。
瞑想法は個人差がある スポーツで言うと
結論から言ってしまうと、これは個人差があって、何とも言えない。
例えば、スポーツに置き換えるとわかりやすい。
体型や体質、それが好きかどうかによって、その人に適切なスポーツが決まってくると思う。
例えば、筋肉質で体重があって体格が良い場合は柔道とか格闘技やパワー系の陸上競技は向いているかもしれないが、マラソンなどは向いていないだろう。
瞑想なども一緒で、必ずしも万人に向いている瞑想法があるわけではない。
瞑想法の選び方
であるから…
・自分が興味が持てるもの、やってみたいと思うもの
をとりあえずやってみて、それで効果が実感できたら深めていけばいいという話になる。
瞑想の取り組み方
が、しかし、ここでも問題になってくるのが取り組み方。
どのぐらいの意識で取り組むのかという問題。
こないだも聞かれたのだが、どんな瞑想すればいいですかという質問ももちろんあるが、それにどう取り組むかというのは非常に大事。
ピアノの例え
これも他の分野に置き換えて考えてもらうとわかりやすいのだが、例えばピアノを習おうとして、一度だけピアノ教室に行ってもピアノは弾けるようにならないと思う。
ちょっと私はピアノを習ったことがないのでわからないが、やっぱりある程度弾けるようになるには、体に覚え込ませていかないと無理だろう。
ましてや、その道で何らかの成果を出そうとしたら、毎日かなりの時間を練習しないと、無理なのは、どの分野でも一緒だと思う。
「リアルさん、当たり前ですよね、そんなこと。」
と思うかもしれないが、瞑想とかになると一回習ったらおしまいのように思っている人もいるという話になる。
日々の実習の重要性
もちろん、気分転換にちょっと習ってみたいとか、試してみたいなら話は別だが、日々の実習を抜きにしては、やっぱりこういった瞑想系技術も上達しない。
スポーツと一緒で、体の神経や脳に刻み込んでいくようなステップがどうしても必要になってくる。
であるから、ある程度上達したらそこまで必要ではないかもしれないが、少なくとも最初の段階で自分のレベルを一定以上上げていこうと思ったら、毎日数時間練習したり、時間をとって合宿的なものに行ってレベルを上げるということは何でも一緒だと思う。
瞑想時間の質問
一昨日も聞かれたのだが…
「リアルさんは瞑想とか一日どれぐらいしてるんですか」
と言う質問があった。
瞑想のスケジュール
私の場合はその日によって違うが基本的に…
・朝40分くらいはジャパ(マントラを唱える)
・瞑想10分〜2時間
・アーユルヴェーダ的なケア
というスケジュールを朝や午前中に行う。
瞑想時間の変化
一時期は、瞑想はもうそんなにしなくてもよいのではないかと思った時もあった。
なぜ瞑想はそんなにしなくてもよいのではないかと思ったかと言うと、前回の純粋意識の話ではないが、ある一定の段階でわかるようになると、常に「それ」が強弱はあっても感じられるというか一体感があるので、そこまで座って行う瞑想にこだわらなくてもよいのではないかという時期もあった。
であるから、ワークの時にエネルギーを降ろす時以外は普段は普通のような感じだった。
瞑想を再開した理由
がしかし、やっぱり体やエネルギーのメンテナンスを考えた場合、年齢的にもそろそろケアをしっかりした方が良いということに加え、星回り的にケアが必要な時期なので比較的真面目に瞑想している。
「そんなに瞑想して大変ですね」
と言うこともたまに言われることもあるが、行っている側としてはこれが自然で快適。
なんだか話題がそれてしまったので、話を戻していこう。
私の先生というテーマだった。
TM瞑想習った後は気功(仙道系)の瞑想を習ったりしていたが、細かいのは端折って言うとその後、ヴィパッサナー瞑想を行ったり、インドの聖者さんのところでマントラ行を習ったり。
上達の秘訣
まぁこれはどんな分野でも言えるけれども、何かを習うのであれば、自分1人で行っているよりも既にできている人のところに行って、交わった方が上達は早い。
環境の影響
これは、質問したり、話を聞いたりして、知識や理解を深めるという面もあるが、それ以上にその場に浸ると何となく自分もそういう風になるという話になる。
これはよく聞く話であるが、自分の友人5人の年収を足して、5で割った数字が自分の年収という話があると思う。
つまり、普段付き合う人によって、自分の考え方や生活パターンが影響を受け、変わってくるという話になる。
精神世界も同様
これが精神世界の話でも一緒で、瞑想を深めたり、何らかの影響を受けたいのであれば、ダイレクトに交流するのが早道。
瞑想が全てではない
あと、若干話がそれるがぶっちゃけと言うと、必ずしも瞑想が全てなわけではない。
瞑想を教える講座をやってる私が言うのもなんなのだが。
瞑想の多様性
まぁこれは瞑想という言葉の定義にもよるけれども、必ずしも座って行う瞑想を万人がする必要は無い。
やっぱり人によって座って瞑想するのは苦手なタイプもいるわけだし、そういう場合は体を動かしながら行う動的なタイプの瞑想でもいい。
また、座ってサマディーに入るのが苦手なタイプは直感や感受性を開いていって自分より上位の意識が感じられるようにするタイプのワークが向いている場合もある。
だから、この辺も、やっぱり人それぞれになってくる。
精神世界で共通する項目
ただ、共通する項目として、極端な無神論とか唯物主義的な考えに凝り固まっていると、なかなかエネルギーが入っていかないし、認識が変わっていかないと言うのもあるので、呼び方はどうあれ自分を超えた意識というか、存在にある程度心が開く準備は必要。
信じることと疑うこと
いわゆる「信じる」という分野の話になってくるが、それと同時に疑うと言う働きも重要になってくる。
このスピリチュアルと言う分野は、科学やスポーツのように数値化出来ない部分もおおく、何が真実で何がガセか非常にわかりにくい世界である。
そこで、確かに自分より偉大なもの、それを神と呼ぼうが宇宙意識や純粋意識と呼ぼうが、呼び方は別にいいけれども、とにかく自分より上位な存在があり、それを理解したりしていくプロセスと言うのはどうしても必要になってくる。
検証と実践
しかし、上記のようにでは単純に言われたことを信じていけばいいのかと言うと、そういう話ではない。
それが何らかの教典であれ、指導者であれ、形になったものや人間である以上、完璧と言う事はない。
であるから、受け入れつつも疑うと言う姿勢は必要である。
疑うと言うと、ちょっと違うのかな?
検証か、自分で検証しつつ実践して理解を深める。
と言うプロセスがどうしても必要になってくる。