前回は久しぶりに瞑想の体験談というか状態を書いた。
普段はなるべく自分の体験などを言わないようにしている。
なぜなら、ある種のストッパーがかかっているからだ。
この辺の部分は説明が若干しずらい。
なぜなら、体験談というのはメリットとデメリットが存在する。
メリットとしては理論的な説明より頭に入ってきやすいというのが言える。
例を挙げればAmazonで買い物をする時
何がいいかな、例えばKindle端末を買うとしよう。
理論的な説明というのは製品ページあるように…
・画面の明るさ
・解析度が300ppi
・ページの読み込みスピード
・防水かどうか
・重量やサイズ
などの説明にあたる。
確かに製品のスペックは重要だが、それより私たちがチェックするのがレビュー
既に買った人のレビューを重点的に読むのではないかな?
・実際に使った感想
・買って正解だったか、ハズレだったか
などをチェックするはず。
このように買い物をするのは理論的な説明やスペックより体験談やレビューの方がわかりやすかったりする。
それと同じように、瞑想や覚醒体験なども体験談の方がわかりやすいというか、読みやすかったりするわけだ。
がしかし、逆にいえば体験談によるデメリットも存在する。
いくつかあるが、一番多いのが…
「人と比較してしまう」
というのがある。
また、文章を読んで勝手に
「想像してしまう」
というのがある。
これらがデメリットとして働くケースがままある。
私の場合もそうだった。
瞑想や覚醒体験などの本を読んで…
「なるほど、光と一体化するのか」
「意識が拡大していくのか」
「チャクラが覚醒していくのか」
「神やデーヴァがやってくるのか」
「私という意識が消えるのか」
など引き込まれるように読んだおぼえがある。
また、実際に悟ったとされる人物や聖者から直接話を聞いたりすると、より一層その傾向が強くなる。
「なるほど、純粋意識の領域に入るんだ」
「無境界なんだ」
「頭が膨張するような感じになるんだ」
「透明度が上がって世界がスケルトンになるんだ」
などとイメージが掻き立てられる。
それらによって、より熱意というか禅的にいえば「発心」が強まるというのはいいことではある。
なぜなら、その熱意こそがもっとも大事なファクターだったりするわけだ。
しかしながら、その反作用というか、これも人によって違うのだが…
「私なんか全然ダメだ」
と思ってしまうケースもままある。
しかし、そうではない。
なぜなら、「それ」に至る道筋
プロセスやパターンなどは十人十色。
全く違うとも言えるからだ。
だから、体験談など全然役に立たないケース、寧ろ障害になるケースだってある。
そういうこともあるので、普段はなるべく言わないようにしているのだが、とは言えだ。
やっぱりどんな構造というかパターンになっていて、どのような体験が起こったりするかはさわりだけでも言っておいた方がいいと思うので、こうやってブログやメルマガなどで簡単にではあるがシェアしているのが現状とも言える。
とは言え、私のカルマというか方向性としてこう言った情報を発信していったり、インストラクションしていったりというところでもあるので、ある程度の情報は公開していこうと思っている。