前回は瞑想したからといって悟りや覚醒が起こるとは限らないという話だった。
一部引用すると・・・
次に大事なポイントとして・・・・
「技法はあくまで仕込みで、やったからといって必ずその状態になるとは限らない」
という事が言える。
シンプルに言えば、瞑想したからといって覚醒や悟りが起こるとは限らないわけだ。
「なんだ、それじゃ意味ないじゃないか!」
と思うかもしれない。
いやいや、確かにそうなのだが嘘は言えないので本当の事なのでしょうがない。
例えていうとゴルフ。
「ホールインワンは狙っても入らない、しかし、狙わないと入らない」
by アーノルド・パーマ
というゴルフの格言があるように、狙っても入らないが、しかし狙って打つしかないわけだ。
実はここでもコツある。
続く・・・・
ということで話の続きから。
この辺は非常にわかりにくいところではある。
しかし、よく考えてみれば世間一般の事もこの傾向はある。
例えば・・・・
- 勉強したからといって試験には受からない
- 仕事を頑張ったからといって必ずしも上手くいくとは限らない
- 上がると思って株を買ったのに上がるとは限らない
- 結婚して上手くいくと思ったのに・・・・
などなど。
このように私たちが遭遇する現実生活も・・・
「●●したから必ずその状態になる」
というわけではない。
しかし、それを狙って行動せずにはいられない。
みたいな構造。
それにプラスして、こういった悟りとか覚醒の分野はさらにモヤがかかっている。
これにも色々な要素があるが、一つだけ上げると・・・・
「目に見えない」
ということが挙げられる。
例えばスポーツで言えば100メートル走。
100メートルを9秒58で走れば・・・・
「ウサイン・ボルトは世界一だわ」
というのが明確に数値として出てくる。
このように「走る能力」というのは見た目でもわかるし、数字でも客観的に計測出来るわけだ。
誰がみてもわかるわけだ。
ちなみに、目に見えないということで言えばフィーリングの世界。
例えば「愛」とかも目に見えないので非常にわかりにくい。
いや、ある意味分かりやすくはあるのだが・・・
- 人によって感じ方が違う
- 人によって微妙にニュアンスが違う
- お互いに共有出来るとは限らない
みたいな性質はないだろうか?
人によってお金という物差しで愛を決めていたり
また、条件や時間によって移ろいやすいものなので、最初は純粋だったのに変質してしまったり。
その為、男女間の愛に限って話をしても日本では統計的に3組に1組は離婚するみたいな話にはなってくる。
また、会社の上司が愛のムチで部下を叱ったら、今時はすぐにパワハラとか言われてしまったり。
このように目に見えないフィーリングや概念は結構厄介な性質を帯びてくる。
悟りや覚醒、また神などをテーマにした分野は目に見えない上にさらにベールがかかる。
これにも色々な要素があるが、一つだけ上げると・・・・
「対象化が困難」
ということが挙げられる。
この対象化が困難というのは、例えば先の愛だとまだわかりやすい部分がある。
例えば先の愛で言えば・・・・
「私はブラビ(俳優)が好き!」
というのはわかりやすい。
ハリウッドスターのブラッド・ピットは存在が確認出来るので・・・
「ああ、ブラビのファンなのね」
という側から見ても分かり易い。
もちろん「なんであんなのがいいの?」みたいな反応もあるかもしれないが、とはいえ分かり易い。
しかし・・・・
「わたし神さまが好き!」
とか会社や家庭や世間一般的な場で言うと・・・・
「どうしたの? 何か悩みでもあるの?」
「なんかの怪しい宗教でも入信したの?」
みたいにきっと心配されるだろう。
これはひとえに「神」というものは目に見えないし、対象化が困難だからだ。
この神はなぜ対象化が困難なのかというと、色々な要素があるがこれも一つだけ挙げると・・
「言葉の世界を超えている」
と言える。
もちろん「神」という言葉では表されている。
しかし、本当の本当はその言葉を超えた「・・・・」が本質になってくる。
悟りや覚醒も同じで、言葉の世界を超えている。
仮に一般の学問と同じように本を読んで憶えたら「完成」みたいなものだったら、話はこんなに複雑になっていない。
ヨガにしろ仏教にしろ・・・
「●●本と▲▲本を記憶して筆記試験に合格したら悟りですよ」
みたいな感じでやればいいわけだ。
それが出来ないから七面倒臭い技法やら教えが膨大にあるという話になってくる。
昨日も質問のメールで・・・
「悟った場合、エネルギー的にとか、人格的に何か特徴はあるのでしょうか?」
というのがあったので、それにも触れていこう。
続く・・・・