昨日はエブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンスを観てきた。
私はバビロンの方が興味があったのだが、こっちの方を観る展開に。
エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンスは一言で表現するとマルチバースもの。
エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンスの感想
マルチバース物の映画で他には、少し前に公開された『ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス』なども有名なので観た人もいるだろうから、イメージで言えばあれ系の映画ではある。
私も観たが面白いは面白いが微妙だった気がする。
ちなみにマルチバーストはメタバースとは少し違う。
メタバーストはFacebookのメタ社がやっているようなWEB上の仮想空間のことだが、マルチバースというのは並行宇宙とか多次元世界という意味。
まあ、メタバースも私達がいる世界が既に仮想現実だという話になってくると、マルチバースト一緒じゃんみたいな話にはなってくるが。
映画のストーリーとしては、倒産寸前のコインランドリー経営者であり、離婚間際で娘とも不仲な中年女性がマルチバースに展開している複数の自分の能力を駆使する物語。
それにより、自分の人生は無論、世界の危機も救うというマルチバース+カンフーアクションの異色の物語になっている。
何だか映画のビジュアルと概要を読んだ限りでは…
「う〜ん 俺は観なくてもいいかな」
という感じだった。
主役が中国人の中年女性だし、カンフー映画もそれほど興味ないし。
この手の映画は一歩外すと悲惨な事になるのでパスする予定だった。
ただ、結論からいうと結構良かった。
大感動するほどでは無いが、色々な映画のオマージュやパロディもありこれはこれでアリだと思う。
特にマトリックスのパロディ場面が多かった気がする。
詳しく書くとネタバレになるので、興味がある人は観にいくといい。
でだ、今日はこのエブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンスの映画にあるような…
「マルチバース(並行宇宙:多次元宇宙)は存在するのか?」
というところを見てみよう。
マルチバース
マルチバースとは哲学的なものか科学的なものか?
つまり思考の実験的な概念なのか、それとも科学的に証明可能なものなのか?
この辺は諸説あって一言で言えば天動説が地動説に変化したように、私達が生きいているこの世界も一つ(ユニ)の世界ではなく、マルチ(多数)の世界からなっていてもおかしくは無いとの仮説は科学的にも言われている。
また、今話題の量子コンピュータも実は結果的にマルチバース的な技術なんじゃ無いかとも言われているので、マルチバースは完全に夢物語とかSFの中だけの話でも無いようだ。
ただ、現実的にこのマルチバースの考え方を私たちの生活に応用することは出来るのだろうか?
「リアルさん、そんなの映画の中だけだし科学的にも推測の域を出ていないわけでしょ?」
と思うかもしれない。
マルチバースト仏教のナガールジュナ
実はこの辺は瞑想やヒーリングなどのスピリチュアルの世界は進んでいる。
例えば仏教で言えばナーガールジュナ。
ナーガールジュナは2世紀のインドの仏教僧。
中観派の祖と言われていて、彼の『中論』では現代の量子力学的な世界観が提示されていると言われている。
例えばこの世界は因果律の関係の上に成り立っていているので、それ自体で独立した不変の実態というものは無く、全ては空であると言っている。
マルチバースとヒーリング
また、私の以前のブログでも話題にしたが、マトリクスエナジティクスやユーフィーリング、特にマトリクスエナジティクスなどはマルチバース的な考え方が採用されている。
例えばヒーリングなどに応用する時に、肩が凝っていたとすると、別のマルチバースの肩が凝っていない世界の自分に波動を合わせて、それで肩凝りを解消するみたいなテクニック。
クォンタムヒーリングの伸びる指実験
例えば下の動画はクォンタムヒーリング(QE:ユーフィーリング)のキンズロー氏のデモンストレーションだが、気づきや思念の力を使って指の長さを伸ばす実験。
これなんかも数分でテスト出来るのでやってみると面白い。
マルチバーストいう言葉は使っていないが、私達がいるこの世界や現象が単一で固定化したものではなく、もっと流動性があるものだという意味では概念的にはほぼほぼ一緒だと思う。
ということで、次回はもう少しこの部分は魂という視点から掘り下げてみよう。