瞑想に入るコツ 瞑想には入らない? 瞑想はやってくるだけの話
昨日は私のプラーナを吸収して仙人になる講座の参加メンバーとzoomでセッションをしていた。
そこで胸のセンターを開く話をしている時、瞑想に入るコツの話になった。
今日はその話をシェアしていこう。
瞑想(それ)はやってくる
「瞑想に入る」
という言葉を使ったが、実はここの部分が違う。
普通は「○○に入る」という言葉づかいをする。
・お風呂に入る
・部屋に入る
・ベッドに入る
これはどのような構造かというと・・・
私→対象=結果
という図式になる。
私が何かをする事で何らかの結果や状態になるわけだ。
ちなみに、日常生活というか普通に生きていると大体がこの構造。
・私が勉強して記憶する
・私が筋トレしてムキムキになる
・私がお化粧して綺麗になる
というベクトル。
この同じ考えで瞑想に入ろうとしても失敗する。
なぜなら、私が瞑想に入ろうとしているからだ。
瞑想には入らない。
それはやって来る。
眠気と瞑想
だから、厳密に言えば坐禅を組んで座って瞑想のカタチをとっても瞑想をしているとは言わない。
これは睡眠と似ている。
眠気は努力して獲得するものでは無く・・
「やって来る」
ものだからだ。
このように瞑想的・祈りのモードと通常の私達の日常モードでは違いが存在する。
では、その「やって来る」状態にするにはどうしたらいいのか?
という話になって来る。
瞑想なんかしようとせずに、ただ普通にしていればいいのか?
という話になるのだろうか?
ホールインワンと瞑想
この辺はゴルファーのアーノルドパーマの名言でいうと・・・
「ホールインワンは狙っても入らない
しかし、狙わないと入らない」
というのがあったがそれに近い。
これと一緒で・・・
「瞑想しようとしても入らない
しかし、瞑想しようとしなければ入らない」
という、何だか禅問答のような話になってくる。
この辺はdeepの講座で詳しく説明しているし、瞑想状態がやってくるようにガイダンス付きの音声をつけているので、そちらを参照して欲しいが、ブログでも一部解説してみよう。
コツ 猫と瞑想
結論としては・・・・
「瞑想に入りやすい状態にスタンバイはする
その後、それを忘れる(待つ)」
というのがコツ。
瞑想に入ろうと力技でやっても限界がある。
そうでは無くて、それがやってくるのを待つ。
受動性の問題。
これは猫に近い。
猫を飼っている人はわかるかもしれないが、例えば姪っ子などが家に来て・・・
「わっー猫ちゃんだ! カワイイ!!!」
と走っていくと猫は逃げていく。
逆に猫が来やすいような環境を作ってやって、待っていると「いづれ」擦り寄ってくる。
瞑想もそれと一緒。
つかもうと必死になると逃げていく。
そうでは無く、それが来やすいような環境を整えてあげて待つ。
そうするとやって来る。
細胞が浸る至福
慣れると、ほぼ毎回やって来るし体の細胞というか深部に「それ」が浸透すると定着していつも在る状態になって来る。
その時、それはもともと自分と一緒に在った事に気づく。
今、瞑想という話で展開しているが、それは・・・
・瞑想であり
・愛であり
・神としか言いようが無いものであり
・自分の本質であり
・名前をつけられない何かである
という話になってくる。
更に言えば、それは努力したからその状態になったのでは無く
最初からあり
誰にでもり
ここにもそこにも在り
顕れ続けている何かである
それは「私」という雲が薄れると見えてくる
感知して味わう事が出来る
ただ、それを知る為には
逆説的だが
ある種の努力が初期的には必要
なぜ初期的なのか?
それは磁石では無いが
最初は近く努力や意図が必要だが
一定のラインを超えると
自然と磁力のように
私達は魅了され
惹きつけられて止まず
また焦ることは無い
なぜなら、私達は既にその中にいるから