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あなたは既に「それ」で在ると瞑想法の種類と至高体験

 

今回の内容は動画で詳しく解説してるので、そちらを見ていただきたいんですが、それとは別に文章でも補足解説していきます。

 

 

なぜこれほどいろいろな瞑想法があるのかと言うと、逆を言えばどのような方法からでもやり方によっては瞑想になると言う

ことがいえます。

 

その理由としては、私たちは既に…

「神聖な意識で在る」

からだと言う話になってきます。

 

ただ問題はそれが認識できなくなっている。

私たちは、私たちが思っているように 広大な意識で自由な存在です。

が、しかし、それに気づけなくなっている。

 

では、なぜ気づけなくなっているのでしょうか?

いろいろな要素がありますが、 最も大きな要因として…

 

「今の自分にフォーカス されすぎている」

 

ということが言えます。

 

今の自分にフォーカスされすぎていると言うのはどういったことでしょうか?

 

それは私は〇〇であると言う言葉による定義付けだともいえます、例えば…

・ 私は男である

・ 私は40歳である

・ 私は山田太郎という名前である

・ 私は神奈川県に住んでいる

・ 私はメーカーに勤めている主任である

・ 私には妻と子供がいる

・ 私は〇〇大学を卒業して〇〇の資格を持っている

などの定義付けが自分自身になされていると思う。

 

もっと シンプルに行ってしまえば、この肉体を私自身だと思い込んでいる。

 

そういったものにフォーカスされて過ぎていると言う話。

例えばの話、最近ではLGBT問題 がよく取り上げられているが、これも少し違和感がある。

なぜならば、私たちは 男性、女性、もしくはその中間的な性別にかかわらず、そもそも…

 

「人間ですらない」

 

と言うところが本当のところだ。

 

もちろん、肉体的な生物学的には、いろいろな種類付けができると思うが、意識としては性別もな 年齢もなく 国籍もない。

これは理屈うんぬんを言う前に、正確に自分自身に気づくとわかるはずである。

 

とは言え、長年染み付いた、この人間と言うフォーマットを通して生きている。私たちは、そう簡単には、ここの概念や認識は崩せない。

 

そこで必要になってくるのが各種瞑想法だと 言えなくもない。

 

一例として、動画で取り上げたが、 瞑想の要素であるサマタ について。

動画では「集中力」と言うシンプルな言葉で表現したが、実は 私たちが知っている集中力と言うイメージの範疇にはさげ切れない。

例えば座って瞑想して1時間2時間経過しても、時間の感覚がなくなったり、自分がどこにいるのかさえもわからなくなるほどの集中とも言える。

 

また、一定の集中状態になると、私たちの意識や思考がどのような構造していて、どのように働いているのかを如実に感じ取ることができるようになる。

そうなってくると、体から意識が拡張してる様子もわかるようになったり してくる。

このような状態になると、「私」と言う認識が、今まで 普通に生活していた「私」と言う状態とは違ってくる。

 

これはある意味想定外というか、今まで自分が思っていた自分や意識と全く違うと言うふうにも認識されるが、逆を言えば… .

 

「今までも、ずっとこの状態だったんだ」

 

と言う認識にもなるし…

 

「 これは人間としてデフォルトの状態だから、気づいてる気づかないは、とにかく皆、この状態だ」

 

との認識にもなる。

 

よく 心理学的な用語で至高 体験と呼ばれるものがある。

あれなどは、偶発的に意識が、このようなデフォルトの状態に戻ったときに、感じられる至福感だったり、解放感だったりするわけだ。

ただし、 偶発的になった場合は、コントロールが効かないというかすぐに終わってしまって…

「あれは、何だったのだろう?」

と言うふうになりやすい。

瞑想として意識的に取り組んだ場合は、この辺がクリアになり、自覚が定着するケースが多い。

続く