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瞑想と観る事  自観法とクリシュナムルティと ヴィッパサナー瞑想

今回は「観る」瞑想のお話。

自観法

瞑想自体は独学で12歳からやっていた。

故・仁宮武夫さんという 心霊学者の人が書いた本を読んだのがきっかけ。

なぜ心霊学者 の 本を読んでいたかと言うと、 プロフィールでお話したように スピリチュアルな世界に興味を持ったきっかけとして、自然と体外離脱が始まったと言う 話をしたと思う。

その流れとして、 この現実世界以外の世界への 興味が湧いてきたということはごく自然な話。

当時の本のタイトルは 忘れてしまったが、仁宮武夫さんの体験談など書いてあって興味深く読んだ。

その本の中で、仁宮武夫さんが「通信講座」をやっているという事で、お年玉を貯めて購入した。

今考えてみると、とても有意義な投資だった。

ちなみにこの頃から読みたい本はなるべく買うようにしてた。

今でもそうだが、 私は本や情報に対しては お金をどんどん使う。

逆に車とか時計とかそういった消耗品に対しては、ほぼ使わない。

これは 自分の学びになったり技術の向上につながることは 一生の財産として残るが、 耐久消耗品、 つまり年数が経つに従って価値が下がっていき、最後にはほとんど価値がなくなっていくもの に対しては、 なるべくお金を使わないようにしている。

中学生の時に買った仁宮氏の通信講座を始めとして、 その後、 新車が買えるぐらいの金額を 瞑想を習ったり、 必要な知識や 技術を身につける為に費やし ていくわけだが、 それがあったからこそ 今 活動できるとも言える。

また、何かを上達しようと思ったら 自分一人で やるよりは 出来上がった 体系を学んで行く方が早いし、 それをやるにしても 一人で孤軍奮闘するよりは 習ったほうが早い。

お金を出して 情報を仕入れたり習ったりした方が 結果的に早くマスターできるので、 逆説的にお金と時間の節約になる。

少し話が逸れたが とにかく最初に通信講座を受けたのが 中学生の時。

仁宮武夫氏は 心霊学者だが、かなりのエリートらしい。

MEMO 故・仁宮武夫氏 

島根県出身。

外交官試験に合格し外務省に入省。

派遣されて米国ヴァモント大学及び、ウィリアム大学に於いて哲学・心理学・美学・政治学等を学び、ワシントン・ニューヨーク・ヨーロッパ諸国の大使館に勤務。

進歩的な中堅外交官として活躍中、東条英機首相と正面から意見が対立し野に下った。

戦後、アメリカの大学で研究した深層心理学と数度の外遊で得た心霊と神秘現象を科学的に研究。

人間分析の静かな学究生活に入る。

読んでかける科学的新催眠術法や自己改造法を創始した。

また、自観法を提唱するなど心理・心霊学者として名を馳せ、「綜合科学会」を主宰し精神世界の先駆者となる。

著作は多数あり、『超心霊世界の神秘』『二つの世界から人間を見る』『催眠術講座』など。

享年74歳。

引用 歴史が眠る多磨霊園より
http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/N/nimiya_t.html

上の 引用部分でも書いてあるが、 通信講座というのは「自観法」 というものをマスターする 講座だった。

自観法とは 文字通り「観る」技法。

ここの部分はとても重要ポイント。

この観る というワードに関して「グッ」とくる人は 結構マニアック。

クリシュナムルティも・・・

この観るということは、 クリシュナムルティもメインテーマとして言っているし、そもそもヴェーダのヨガのヴェーダでも「観る者」「観られるもの」「観る行為」、プルシャとプラクリティなどと定義したりしてる。

とにかくどのようなレベルにしろ 「観る」という行為がとても重要だという話になってくる。

であるから例え浅いレベルであったとしても、 最初に学べたのが「観る」 という本質的な カテゴリーであったということに 感謝したい。

ただ、中学生の時に通信講座で「自観法」 と言う瞑想法を習ったが、 正直言って ガツンとしたインパクトはなかった。

もちろん ちょっとした至高体験 は経験したが、「 これこそが見る体験だ」 というものは明確ではなかった。

しかし、私の直感は この「観る」という分野は・・・・

「 この先に何かあるかもしれない」

「偉大なる叡智 につながっている に違いない」

と思わせる何かがあった。

これがそう(観る)だったのか・・・

この「観る」ということについては、この後も取り組んでいて、 ガツンとした 認識。

「これがそう(観る) だったのか」

となったのは上座仏教のヴィッパサナー瞑想のリトリートだった。

これはいくらヨガや クリシュナムルティーの本を読んでも思索を重ねてもわからない。

なぜなら私たちが日常的に使っている思考のベクトルの位置にはないからだ。

ある種の訓練が絶対的に必要になってくる。

訓練というのは思考を離れる訓練の事。

「それってマインドフルネス(気づき)なんじゃないですか?」

という話もあると思う。

確かにカテゴリーとしてはそうなんだが、 あなたも思ったことはないだろうか?

「気づきって 今の俺だろ?」

「思考が無い状態って、ここ数分そうだったよ俺」

私も正直、 気づきが浅いレベルではそう思っていた。

この辺は本に詳しく書いてあるので、まだ ダウンロードして読んでいない方は 読んでほしいのだが、 とにかくこの「観る」ということに最初に触れたのはとてもラッキーだったと思う。