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REAL WORLD CONSCIOUS LIVING

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ヴィパッサナー瞑想 歩く瞑想は退屈?

日記

前回はヴィパッサナー瞑想が凄いらしいと言う噂を聞いたと言う話だった。

今回は続きで実際に行ってきた話。

ヴィパッサナー瞑想というと流派がいくつかあるが、目白のテーラワーダ教会に行った。

今は幡ヶ谷にあるが当時は目白のマンションの一室でやっていた。

部屋に入ると袈裟を着たお坊さん(タイかスリランカの方)がいて、歩く瞑想と座る瞑想を教わった。

率直な感想としては・・・

「ん? これが凄いの?」

という感じ。

ヴィパッサナー瞑想あるあるである。

どんなことをやったかというと、5メートルくらいの距離をゆっくりと5分くらいかけて歩く。

その時に足の動きを観察しながらラベリングというものを行う。

このラベリングも流派や教師によって若干カラーがあるが、基本的には

「足」「触った」「動いた」

などと観察している対象に対して言葉を当てはめていくテクニック。

座って行う瞑想も一緒で呼吸の観察というよりお腹の動きの観察をしながら・・

「膨らみ」「縮み」

とラベリングしていく。

「う〜ん 正直言ってマントラの方がクルんですけど」

と言わないけど思った。

マントラの場合は調子がいいときは10秒くらいでグワーンと入っていく。

それに比べてイマイチな感じ。

特に歩く瞑想だ。

一言で言って退屈。

30分くらいゆっくり歩くだけ。

「これ、数名でやっているしお坊さんもいるし、一応やってるけど家に帰ったら退屈で絶対にやらないタイプの奴だ」

と思いながら耐える。

後から考えると、ヴィパッサナー瞑想は物凄い威力なのだが、普通に数時間教わっただけだと大体のケースでこんな感じで終わるだろう。

まあ、雰囲気?

2500年前のお釈迦様の教えを継承しているだとか、外人の袈裟を着たお坊さんの存在やらが、なんとなく厳かでご利益がありそうな空気感を出しているんで・・

「行ったらなんかあるかも」

という感じにはなるかもしれないが、実質的にはなかなか最初から難しい。

なぜかというと、ヴィパッサナー瞑想には・・・

A サマタ

B サティ

と2つの要素があり、観察したりラベリングしたりする要素はBのサティの要素に該当する。

つまりAのサマタの要素が足りないと、退屈な時間だけが過ぎていく。

このサマタとサティをボクシングで例えると・・・

・サマタ=ウエイト・筋力

・サティ=技術

みたいな話になってくる。

ご存知のようにボクシングは階級制になっている。

47.62キロ以下のミニマム級から90.72キロのヘビー級まで17階級存在する。

なぜこれほどまでに細かく分けるかというと、体重差というのは格闘技において物凄くデカイ要素だからだ。

なぜ重さが重要かというと、もっとわかりやすく言えば高さ1メートルの場所から・・・

・ピンポンの球が落下してきて当たるのと

・ボーリングの球が落下してきて当たるのと

どっちが痛いかというとボーリングの球に決まっている。

厳密にいうと衝撃は運度量とか力積とかの話になってくるが、シンプルに言えば・・

・重さ

・速度

の2つの要素で大体決まる。

つまり、どんなにスピードとテクニックがある選手でも体重差が大きいとデカイ奴には勝てないので階級差があるわけだ。

私が最初に、ヴィパッサナー瞑想を習いにいってピンとこなかったり退屈したのも、

「サティの技術は習ったけれども重さに該当するサマタが足りなかった」

という事。

つまり格闘技でいう体重などの「破壊力」が足りなかったという話。

ちなみにヴィパッサナー瞑想だけではないが、原理原則的な話として・・・

「自分が凄いと思ったからと言って、必ずしも凄いとは限らない」

また・・・

「自分がたいした事ないと思っても、実は凄いケースもある」

ということがある。

例えば・・・・

「なんだか凄い波動(エネルギー)を感じた」

「だから、きっと凄いに違いない」

みたいな話は良くある。

また、それはある意味間違いではないのだが、そもそも自分の実力や目利きがヘボな場合は本質を間違う場合がある。

そもそも、その凄みがわからないからわからないのであって、自分中心に考えすぎ。

なぜこのような事が起こるかというと、自分の認識や波動に近いものしかわからないからだ。

異質のものは理解出来ないし分からない。

しかし、その異質なものに鍵が隠されているケースも多い。

具体的には例をあげると、あんまり取り上げたくは無いのだがサ●ンを撒いて事件を起こした団体とかあったが、あれなんかは・・・

「ああ〜 凄い!」

と思って引き寄せられて、ハマってしまってああいう風になっていったわけだ。

波動が合ってしまったわけだ。

その波動が合う人は凄いと思ってハマる。

サイババとかアンマとかより、あっちの方がいいと感じてしまうわけだ。

無論、問題の中心はあっちだが、それに引き寄せられた人も同じような波動だったという話になってくる。

波動というのはオーラ的なものはもちろんだが、考え方とか趣向とかそういうものも含めての話。

だから、自分が凄いと思っても一歩引いて・・・

「今はそう思っているけれども、可能性として違うこともあり得る」

という視点が必要。

これはスピリチュアルな分野だけでなく一般の分野や環境、人間関係でもそう。

自分の波動と共鳴するものしか興味を示せないし、認識することは出来ない。

話を戻すとヴィパッサナー瞑想に最初に接した時はピンとこなかったが・・・

「いや、なんかあるな」

という匂いはした。

結果、何度か通う事となる。

続く・・・